俗ラテン語の形態・統辞的特徴

GRAMMATICA LINGUAE LATINAE VULGATIS

ラテン語から現代ロマンス諸語への過渡期にあたる俗ラテン文の統辞的特徴を概観する。

1.名詞について

曲用の消失

格体系の消失には、5種類ある曲用間での同化とそれぞれの曲用内部での格の同化の二面性が考えられ、ともに単純化の傾向にあった。曲用間の同化においては、不規則な第三、四、五変化名詞は第一、二変化に統合される傾向にある。つまり女性名詞がそのほとんどであった第五変化は第一へ、第三、第四変化においては、男性名詞は第二変化へ、女性名詞は第一変化へ移行していった。つまり性別により二種類の曲用に分化したわけである。曲用内部の変化もまた、呼格を含む主格と、それ以外の格(被制格または斜格)を代表することとなった対格との二格体系の時期を早くに経て、後に全てを対格で代表させるようになった。各ロマンス語の初期の文献においては、男性名詞が二格体系である古フランス語を例外として、名詞は単複それぞれ一つの形でしか現れない。以下に格変化消滅の原因を挙げる。

音韻変化による同化

元々、第二変化と第四変化の主格が同形だったことや、第一変化単数での属格と与格、第二変化での与格と奪格が同じであったことが混乱の一因であったと考えられている。また語末の m や母音の長短が消失したことによりいくつかの格が同じ形になった。例として、第一変化、主格の stella と対格の stellam と奪格の stella や、第三変化、対格の regem と奪格の rege などの混同が挙げられる。

格の意味の混同

曲用内の格の統合には、意味上の混同が考えられる。まず一つは対格と奪格の混同である。奪格はもともと同伴、手段、場所、行為者など広範囲な意味を表すあいまいな格だったのに対し、対格は最も頻繁に使用される代表的・中立的な格であった。そのため対格は奪格支配の前置詞の後でも用いられはじめ、動詞の後でも多くの奪格、与格に取って変わった。また、属格と与格も所有の意味を持つことから互いの領域を共有しはじめた。 

それぞれの格機能は対格を伴った前置詞で表現されるようになった。部分や所有を表す属格がしばしば de〜で表され、与格が ad〜にとって代わられ、奪格が時の in〜、様式の cum〜、原因の per〜などによって表される現象が頻発する。つまり、主格と目的補語としての対格以外の格機能は前置詞が担うようになってきたのである。

以上のように、奪格、属格、与格は使用頻度の高い対格に吸収されていく。また呼格はほとんど同じ形であった主格に併合されていく。よって、もともと5つないし6つあったラテン語の格は主格と対格の2つに落ち着いた。しかし上記の通り、ガリア以外のロマンス語圏では、この二格体系も早くに消える。他の場合と同じく語尾子音の脱落による同音化と、属詞(補語)にあたる主格が対格と混同されたことなどが原因と考えられている。フランス語は古フランス語の時期を過ぎた13世紀以降から徐々に二格体系が消滅する。しかし、東部ロマニアのダキアでは事情が異なり、ルーマニア語には現在でも格体系が残っている。

名詞屈折が消えていったのは、それに代わる別の手段があったからである。つまり語の役割を語順によって、もしくは前置詞を用いて表現する方法で、一般民衆にとっては名詞を複雑に格変化をさせるよりも、その方が楽であったことが格変化消滅の原因の一つであると考えられている。こうして対格が通常使われる形となった。

性の単純化

曲用や単複の区別の消失と同時に、性も単純化した。これは語の意味よりも形で区別され、それぞれの特徴的な語尾、男性は -us、女性は -a、中性は -um によって再編成された。後に語尾子音の s や m が消えていき男性と中性の区別がつかなくなると、中性が衰弱しはじめ、一般の中性は男性へ、中性複数の集合名詞が女性単数へ変わってニ種類に落ち着いた。(vinum > vinus, factum > factus, caelum > caetus, folium (sg), folia (pl), castrum (sg), castra (pl))

この現象は、性の区別による統辞上の役割が減少したことで説明される。名詞とそれを受ける代名詞、特に関係代名詞とその先行詞との一致がなくなってきたことが原因である。例としては、関係代名詞において男性主格 qui と男性対格の quem が人をはじめとするあらゆる先行詞に用いられ、普遍的な価値をもつ形になったこと、また quod が抽象名詞や事物の先行詞として男女の区別なしに用いられはじめたことが挙げられる。

2.動詞について

名詞の曲用は消滅し、その役割も語順という手段に取って代わられたのに対し、動詞の時制や法体系はそれほど変化を受けておらず、活用は形を変えて残ることになる。

未来形

最も特徴的なのが迂言用法による未来形の置き換えである。特に第一活用の三人称単数未来は母音間の「b」が弱化した結果、完了形と一致するに至る(一人称単数現在 cantat、未来 cantabit、完了 cantavit)。第三活用においても、「i」と「e」の混乱は現在と未来との区別をなくした。(二人称単数現在 regis と未来 reges, 三人称単数現在 regit と未来 reget など)

また、habeo が dicere、quaerere、scribere、などの不定法とともに用いられ、「〜するべき」といった義務ないし必然性を表しはじめる。意志を表す volo の形を採用したルーマニア語を除き、ロマンス語においてこの habeo を用いた表現が未来形の基本になった。後に「所有」という固有の意味を失った habeo は不定法の後に付き活用語尾のように振舞う。ほとんどのロマンス語の未来形である「不定形+habere」はここに由来する。

受動態

受動態は屈折的な形態と並存しており(一人称単数現在能動 amo の受動 amor、未完了過去 amabam、受動 amabar)、また完了形は過去分詞と動詞 esse で表されていた(一人称単数完了能動 amavi、受動 amatus sum、過去完了能動 amaveram、受動 amatus eram など)。しかし、amatus sum 型が amor の代わりに完了から現在に移り、過去完了の amatus eram も amabar の代わりに未完了過去を表すようになる。つまり完了型が未完了型を表すようになる時制のずれが起こった。ここに現在の意味を持った新しい型の受動態 amatus sum が現れ、今までになかった型の amatus fui や amatus fueram などがそれまでの完了や過去完了の空白部分を埋めるようになっていた。

原因として、語末の一人称の語尾rが消滅する傾向にあり、能動態との区別が困難になったこと、また、形式所相動詞の存在が、その能動の意味によりすでに受動態の活用に混乱を生じさせていたことが考えられる。

複合過去

habere は所有、保持を意味し、完了分詞は状態や完成された行為を表す。この二つにははっきりと異なった個別の意味があった。

(以上試訳)

前者の habeo には、まだ「持つ・所有している」という意味を感じ取ることができるが、後者は単につなぎの意味に過ぎなくなってしまっている。特に、「持つ」という物質的な動作を伴うことなく精神的な動きを表すような場合には、すでに habeo と完了分詞は異なった働きをせず中性化し、まとまって一つの意味を形成することになる。語の順序も、ラテン語らしく動詞 habeo が後に来ていた(矢印左の例)。この habeo+過去分詞の形は、日常会話では頻繁に用いられていたが固定化・文法化されておらず、一般化するのはかなり後になってからである。

その他

  1. 第二活用動詞が第三活用動詞に吸収されて消滅していく。
  2. 迂言法の受動態が現れる原因の一つである形式所相動詞と能動相の混乱。
  3. 直接法が、結果や疑惑を表していた多くの接続法に取って代わり、また逆に動詞がquodなどとともに従属節内に置かれただけで接続法が用いられるといった現象が起こってくる。
  4. それまでの「不定法+対格」の動詞的名詞を使った表現に代わり、理由を表す quod や quia などとともに節表現が用いられるようになる。

など。

3.その他の語と語順について

  1. 指示代名詞が名詞に結合する頻度が多くなり、冠詞の起源になった。(ille「あれ、あの」、ipse「それ自身」)。不定冠詞は数詞である unus から来ている。
  2. 名詞とその名詞を修飾する語は隣接する現象が多くなり、一つの名詞がある名詞の後に置かれただけで限定詞の役割をするようになる。
  3. 形容詞の比較に関して、それまで多く語尾変化で表されていたのが衰退し、magis を用いる分析的方法が盛んになる。
  4. 副詞と前置詞が結びつき、複合的な名詞を作る。(abante, de post, deintus・・・)
  5. まれで複雑な屈折の型は、より使用頻度の高い規則的な活用の語に取って換わられる。(edo が mando「かむ、食う」や comedo「食い尽くす」に)
  6. 短い音節の語は同じ意味の多音節語が代わりをする。反復など意味の強い動詞が多用されはじめ、また名詞は指小辞により派生語が作られる。(ire が vadere や ambulare に、os が bucca に。canere が cantare に。avis が avicellum に)

など。

語順

古典ラテン語では、語順は基本的に自由であった。俗ラテン語では名詞屈折が消えて行き、語順に多少の制約が出てはきたが大きな変化はなかった。主格と対格の区別があったため主語と目的補語の区別はつき、状況補語は前置詞構文で区別できたからである。傾向としては、古典ラテン語では動詞が最後に来ることが多いのに対し、俗ラテン語ではその割合が減っている。つまり、古典ラテン語の最も基本的な形であるSCP型が、SPC型やCPS型へ移ったわけである。

4.文について

文章は複雑で長い文から直接的かつ単純なものへ変わる。それまでの不定法を使った言い回しから、接続語を多用する文に変わる。また接続詞の機能が拡大し、quod が普遍的な接続詞として多用され、代名詞と接続詞とからなる複合接続詞も現れはじめる。

俗ラテン語の特徴

古典ラテン語から現代ロマンス語への流れは簡略化の歴史と見ることができる。全般的に見ると、屈折による表現方法が減少し、統合的、配分的な方法に変わっている。つまり、文中での語の役割はそれまでの格に代わり配列や前置詞によって表され、法、時制、相については助動詞という表現手段が用いられるようになったのである。簡略化に関しては特に名詞体系において著しく、動詞が形態を規則化、単純化するにとどまっているのに対して、名詞は屈折変化を全く失っている。話し手の立場からしても、複雑な語形変化を強いられるのに比べ、前置詞を用い、一定の形の語を規則に沿って並べて表現する方が精神的負担を軽減することになるであろうことは容易に理解される。このような表現方法は、冗長で陰影に欠けることになる一方、意味を明快かつ正確に表すことが可能になったともいえる。

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