多くの中世文学が現れる古フランス語の時代は、フランス語の輪郭が作られていく過渡期といえます。(9世紀後半〜13世紀)
フランス王国13世紀まで
多くの中世文学が現れる古フランス語の時代は、フランス語の輪郭が作られていく過渡期といえます。(9世紀後半〜13世紀)
ユーグ・カペーによるフランス、カペー朝の王権は弱く、はじめその勢力はパリを中心とするイル・ド・フランス地方に限られており、王国は13世紀まで大諸侯の分立する状態でした。君主より臣下の諸侯のほうが大きな力を持っていることもありました。その一つであるノルマンディー公国ウィリアムは、1066年にイングランドを征服しイギリス王となります。

フランスは教会権力とともに勢力を広げていきます。1096年、聖地奪回のためフランスとノルマンの騎士を中心とする第一回十字軍が結成され、エルサレム攻略に成功します。また1209年から20年間、教皇は南フランスを拠点とする異端のアルビジョワ(カタリ)派を討伐するため、北フランスの騎士を集めて南フランスを攻め(アルビジョワ十字軍)、これが南北フランスの政治闘争に発展します。アルビジョワ派は全滅し、王権が南フランスに伸びる足がかりを作りました。
13世紀以降、フランスは非凡な君主が王位をついで封建制度を上手く活用し、力をつけた諸侯を上手くまとめ上げ、ヨーロッパ第一の国に成長していきます。まず、フィリップ2世が臣下であるイギリス王ジョンから大部分の土地を奪い、その後も攻めてきたイギリスとドイツの連合軍を打ち破ります。このように、ルイ8世、ルイ9世の時代には地中海まで勢力をのばし、フィリップ3世、フィリップ4世で王権はさらに強まり、次々と国土を拡大していきます。ルイ9世の治世は、中世フランスを代表する長く平和な時代でしたが、後のフィリップ4世は教皇と対立し、ついには法王権をアヴィニョンに遷すほどの力を持つようになっていました。
1328年、長く続いたカペー朝が断絶すると、王権はヴァロワ朝に移ります。しかし、イギリス国王エドワード3世はフランス王権を主張して、ここに百年戦争がはじまるのでした。
11世紀末までの日常の話し言葉(古フランス語)の文献の数はそれほど多くありません。書かれるとすれば韻文で、民衆の教化のため、読んで聞かせるために書かれたものがほとんどです。ところが、12、3世紀になると書き言葉にラテン語と並んで、徐々に話し言葉であった古フランス語が用いられるようになってきます。司教や修道院の学僧によって書かれるラテン語の文学とともに、古フランス語で書かれた作品も豊富にあらわれます。12世紀以降は韻文だけでなく散文でも作品が書かれるようになり、また13世紀半ば以降、公の文書にもフランス語が用いられてきます。
カペー王朝がパリを首都としたことと、それによって宮廷、法廷、そして多くの学校が建てられたことによって、次第にイル・ド・フランス地方(パリを中心とした地域)の言葉が標準になっていきます。これはフランシアン語と呼ばれます。
11世紀に書かれた「聖アレクシス伝」はほとんどラテン語とのつながりを断っており、古フランス語の整った形をなしているといわれます。この作品以後、本格的なフランス語が書かれることになり、1100年ごろの「ロランの歌」で一つの文学的傑作に達します。12世紀からは武勲詩、宮廷風文学、風刺小説などの多くの作品があらわれはじめます。
フランス国内には、ゲルマン化の質の違いによりすでにさまざまな方言が存在していました。それらは大きく分けて北部方言と東部方言、南部方言に分けることができ、それぞれ、langue d'oil(オイル語)、franco-provincal(フランコ・プロヴァンス語)、langue d'oc(オック語)と呼ばれます。この区分はかなり包括的なもので、その内部にもまた多くの方言が存在します。

フランス南部で起こった言語の変化は比較的小規模なものでした。それに対して、ゲルマンの影響が強かった北部フランスの言葉は、他のロマンス語地域の言葉からひどくかけ離れ、さらに南部の言葉からもはっきりと区別されるほど大きな変化を被りました。
1208年からインノケンティウス3世によってアルビジョワ十字軍が送られため、南部は北部の諸侯によって打撃を受け、政治的に服従することになります。これによって、南仏における文学語としてのオック語は衰退していきます。しかし、日常会話語としてはオック語が用いられつづけます。いっぽう北部では、王権の拡大とともにパリの言葉がますます規範になり、オイル語の中の一方言であるフランシアン語が書記言語の基礎となっていきます。
フランス語の歴史とは、やがてこの北部の言葉、イル・ド・フランスの言葉であるフランシアン語がフランス全土の標準語になっていく過程のことをいいます。
フランス国内の他の言語 国内にはフランス語のさまざまな方言のほかに、スペイン国境の大西洋側にバスク語、ブルターニュ半島にケルト系のブルトン語があります。バスク語は古くからの系統不明の言語で、その話者は先史時代にこの地にやってきたと考えられています。ブルトン語は4世紀から6世紀にかけて、ローマ化されていないケルト人がアングロ・サクソン人に追い出されて、ブリテン諸島から移住してきたのが始まりです。
1066年のノルマンディー公によるイングランド征服によって、イギリスにフランス語(ノルマンディー方言)が持ち込まれ、宮廷や公の機関の言語として14世紀半ばまで話されます。そのため、英語には多くのフランス語が入っていきました。
英語とフランス語の共存の例(カッコ内はフランス語)
ox - beef (bœuf) sheep - mutton (mouton) pig - pork (porc) wish - desire (désir) luck - fortune (fortune) bloom - flower (fleur)
また、十字軍によって南欧まで伝わり、イタリアではそれによって文学が書き記されました。
ヴァイキングなどにより北欧語が、イングランドの王との交流によって英語が入ってきます。主に海に関する語が多いのが特徴です。
北欧語から vague 「波」 marsouin 「ネズミイルカ」 crique 「入り江」 havre 「避難港」 but 「目的」 équiper 「出帆する、装備する」 hanter 「出没する、付きまとう」 cingler 「雨風が激しく打つ」 joli 「きれいな」 など。 英語から nord 「北」 sud 「南」 est 「東」 ouest 「西」 flotte 「船団」 bateau 「船」(語根として) など。
また十字軍の遠征などで、ビザンティン帝国からのギリシア語やアラビア語、ペルシア語からも少数の言葉が入っています。
amilal 「海軍大将」 caravane 「隊商」 jupe 「スカート」 hasard 「偶然」 azur 「紺碧の」 tasse 「茶碗」 など。
14世紀以後、こうして基礎が確立したフランス語はしだいに一つの国家語として意識されはじめ、さらに整った形へと進化していきます。現代のフランス語らしくなるのは17世紀前半の近代フランス語になってからです。ルイ王朝になってからの17、18世紀には、フランス語は外交語として欧州に広まっていきました。1635年には国語浄化のため、国家機関アカデミー・フランセーズが創設され、またマレルブ、ヴォージュラらの改革者によって語彙や語法が整備されて近代フランス語の形が出来上がりました。