古河オフ2007レポート
写真等は、46
さんのサイトに豊富に掲載されていますので、ご参照ください。
実施日:平成19年10月7日
古河観光に関して
古河市の旧古河市地区は、観光案内のパンフレットが豊富に存在するものの、交通手段に関しては、ほとんど触れられていません。古河市に問い合わせたとこ
ろ、民間の市内循環バスが廃れ、その代価交通手段として、市民のための無料福祉バス(ぐるりん号)が運営されるようになりました。しかし、これは、非市民
には全く利用することが出来ず、実質、観光用の交通手段はタクシーのみになったとのことです。ですから、古河城散策は、JR古河駅を中心とした徒歩での散
策が主体となります。今回、このオフでは、集合場所と、散策拠点の二カ所に車を配置することで、一日での散策を可能としました。しかし、鴻巣御所や静御前
の関連史跡群を含めると一日では徒歩では回りきれませんし、便利で風情ある宿泊所もないので、古河観光は日帰りで、いかに効率よく廻るかがポイントになり
ます。マイカーの場合、今回のオフのように大人数ではなく、少人数の場合、車をあちこちに配置できませんので、博物館や寺社の駐車場を効率よく使うことが
重要です。この記事には触れていませんが、徒歩とタクシーを組み合わせる場合、実は、古河駅拠点は推奨できません。渡良瀬川の対岸の北川辺町の東武日光線
の新古河駅を出発して、古河駅を目標にするのが効率がよいです。新古河駅の電車の本数が極端に少なく、帰りに利用するのは不便です。古河駅から古河駅より
も、多くの場所がみられる新古河→古河コースはお勧めです。東武日光線は、下りでは栃木駅で両毛線を使って小山駅から宇都宮線及び水戸線に接続、上りで
は、栗橋駅で宇都宮線に接続します。
(1)地図1・・・10:30〜45、古河市役所古河庁舎に集合し、参加
者のマイカーの一部に分乗し、正定寺へ移動。ここを基点に行動をする。
1、2・・・正定寺は土井利勝をはじめとする、古河藩主の土井氏の墓所と、江戸屋敷の黒門が東側に移築されています。
3、4・・・寺の西側に、藩校の盈科堂の石碑と、天狗党の乱で処罰された水戸藩士の足跡を示す碑が、解りにくい住宅街に建っています。
5、6・・・頼政神社と水神社が併設されています。頼政神社は源頼政を祀った神社で、古河城内の頼政曲輪にあったものが移築されています。古河城築城は、
下河辺氏か足利氏、どちらとも言われています。頼政は下河辺行平の主君なので、そういう意味では前者の説が有力と言えるかも知れません。この場所は、古河
城の土塁の上に鎮座しています。南側の空き地に御作事役所のあった場所です。これは、藩の土木事務所のような役割を担っていました。
7・・・河口信任は日本で始めての人体解剖書「解屍編」を表した人物です。
8・・・古河城の北端の追手門の跡を示す石碑です。この門は昼間は誰でも自由に行き来できる門ですが、夜間は許可制になっていました。佐野古河線は江戸時
代からの街道なので、この間は堀だったことになります。

(2)地図2・・・昼食をとるマルマンまでの散歩。正定寺より古河駅方面
に歩く。再び正定寺に戻る。この寺の入口の丁字路には公衆便所もあって、いろいろと拠点としては便利です。
9・・・河鍋暁斎生誕の碑。幕末から明治時代の絵師。埼玉県蕨市に美術館があります。
10・・・1987年に古河コンピュータ専門学校として開講するま
で、古河市の市役所(平成の大合併前の古河市)として利用された建物。1928年(昭和3年)建造の建物。
11、12・・・江戸時代の古河の街並みを彷彿させる石碑。
13・・・昼食をとった餃子の丸満です。餃子とホントンが名物で
す。29は、夕食に利用した遊水亭です。
14・・・日光街道はここで大きくクランクしています。かつて、このあたりに太田屋旅館がありました。
15・・・


(3)地図3・・・正定寺を南に進み、市街地を散策しながら、始めの集合
場所の古河市役所古河支所を目指します。
16・・・10年前まで沼沢地が残っていましたが、現在では整備され駐車場になっている一帯です。
17・・・蘭学者・鷹見泉石の生誕の碑です。
18・・・福法寺の入口には、古河城の乾門が現存します。
19・・・坂長酒店所有の古河城の文書蔵です。土産に最適な奈良漬けや酒が購入できます。声をかければ、蔵の内部が閲覧できます。この隣に米銀という商店がありますが、こちらは米関係の商品が豊富で、弁当を買っ
て総合公園で食べるのも中々良いと思います。
20・・・参勤交代などで古河を通過する大名家の使者をもてなした場所。

END
その2 その3