びーのホームページへようこそ! 本文へジャンプ
   電脳今昔物語

巻第一

今は昔、昭和天皇の御世に「びー」と言う人ありけり。
びーは電視の「日曜電脳」で電脳なるものを知りたえば、これを欲しがるも金が無く。
日々落胆の膝を囲うも虚しく思いたれば、電脳巻物を買いあさり読む毎日が続けり。
電脳無き者は世に「ナイコン族」と呼ばれる事まさに、その状態なり。
電脳見世によりては、電脳をいじくりて「いつぞは買うなり」と念じてたてまつりたり。
その後、兄の友人から電脳を借りて、いじくるも「嗚呼わしも自分のほしい」と申したと今に伝えたるとや。


現代誤訳

1982年頃、びーさんはTVで「パソコン・サンデー」というTV番組を見ました。
これを見た、びーさんはパソコンがほしくてほしくてたまりせん。
しかし、お金が無いしパソコンはとても高くて買うことができません。
毎日、指をくわえているしかありませんでした。・・・
当時、パソコン雑誌が出始めた頃で「I/O」「マイコン」「アスキー」などがありました。
パソコンというよりマイコンというイメージが強かった時代でした。
パソコンを持っていないのにパソコン雑誌を買う人たちを「ナイコン」と呼ばれていたのです。
びーさんも、そんな一人だったのです。
また マイコンショップに通っては、店員の隙をうかがってパソコンをいじくりまわしていたのです。
びーさんは「いつかパソコン買うぞ〜」と心に誓うのでした。
その後、兄の友人からパソコンを一週間くらい貸してもらい遊んでた。
「ああ〜 早く自分のパソコンほしいなぁ」とあの頃は思っていたんだなぁ・・・・



巻第二

今は昔、電脳が庵に来たりなるにびー大いに喜びなりにけり。
この電脳、兄が友人から買い求めたものなり、「絵無絶倒七百式」という電脳なり。
各工房によりて電脳多数作られたしよりが、言語不通により
その意味電脳ごとに言葉違えば意味通じず電脳動かず、いと悲しけれ。
電視につなぎて磁気録音装置によりて基本言語を覚えこませり。
四半時もまち続けて、やおやく覚えこませりも動かす物なし。
電脳巻物から打ち込み動かせりが動かず
文法間違い多く止りし動かず、情けなきこと。
「雪滑」という遊戯を動かし驚喜せりと今に伝えたるとや。


現代誤訳

1982年後半だったと思うが、びーの家にもパソコンがやってきた!
これには、びーも狂喜乱舞!(^^このパソコンは兄が友人の店で買ったのだ。
そのパソコンはシャープのMZ-700というもの。グラフィックもOSもなく、サウンドは単音しかない。(^^;
今のパソコンの百分の一くらいの性能だろうか?
当時、パソコンは各社バラバラに作られていて互換性などなかった時代
例えば、シャープとNECでは、日本人とフランス人くらいの差があった?(謎
MZ-700をTV(モニターではない)につないでカセット・テープでBASICをロードする。
ハードディスクやフロッピーなどは非常に高価であったし必要なかった時代だ。
(フロッピーディスク1枚が1000円、10枚で1万円!(^^;))WINDOWSなどかけらもなかったのである(エッヘン!)
テープからBASICというコンピュータ言語を読み込ませる。これが30分くらいかかってしまう!!(ガーン)
それから、BASICのプログラムを・・・
10 REM PROGRAM
20 DIM A=0    
30 FOR I=0 TO 100
40 IF A=0 THEN B=1
・・・・・・・・
・・・・
などと打ち込んでいくわけなのだ。それをテープにセーブ(保存)するのだが・・・
いざ動かして見ると・・・あれぇ(??)動かないよう! SYNTAX ERROR IN 100
ガ〜ン!文法的間違いだぁ! それはBと8とか:と;とかの間違いなのだ。
一箇所でも間違うと途中で止ってしまうのだ。!!
それでもなんとかスキーのゲームを打ち込み遊んだのだった!
今、考えると単純なゲームなのだが(^^;
自分で打ち込んだのが動くだけでも狂喜乱舞したのだった。


巻第三

今は昔、びーと言ふ人ありけり。遊戯所に侵略者遊戯など遊びけり。
家庭電脳なるもの見世に並べしば、これを買い求めたるは
もみの木祭りの前の事と思ひだせたり。
驢馬大猿なる遊戯を遊び涙して
「嗚呼、遊戯所に行かずめど我が庵で遊べたり事うれしやうれしや」
と喜べりと今に伝えたるとや。


現代誤訳

ゲームセンターでインベーダーゲームなど遊んでいたのは、遠い昔のことだけど・・・
ファミリー・コンピュータが新発売されて、すぐに買い求めたのはクリスマス前だったかな?
まだゲームは3本くらいしか出ていなかったと思うが・・・
ドンキー・コングはゲームセンターでもあったやつなので買ったんだよな。
今まで100円払って遊んでたゲームが家で出来るので嬉しかったなぁ


巻第四

今は昔、電脳世界で冒険遊戯が大流行せりころの話なり。
「不可思議屋敷」「驚異屋敷」など屋敷の中で冒険する遊戯流行ける。
金剛石を探し当て屋敷から逃げ出す遊戯なりが魑魅魍魎に襲われたりしてよく死ねり。
最初は単純明快な遊戯なりしが「不思議の森の冒険」「時の秘密」など
高貴な冒険遊戯が出て大きく世界が広がれりにびー、一首
「冒険は 電脳世界で 遊びけれ 時を忘れて またあさぼらけ」
と短歌を詠ませたるにいたれり
また「時の洞穴」などと「時の秘密」の続編などでたり
大いにびー遊びけると今に伝えたるとや


現代誤訳

昔、アドベンチャー・ゲームって言うのが流行ってたんだよ。
アメリカではミステリーハウスとか、テキスト・アドベンチャー(文字だけ)
とかがあって日本でもミステリーハウスやワンダーハウスなどのゲームが出た。
大体、ダイアモンドを家の中から探し出して家を脱出するゲームだったよ。
でもゴーストや妖怪、トラップなどで死ぬんだよなぁ
まあ この頃は単純だった(家の中だけだから)
でも「ねこじゃら氏」と言う人が「不思議の森のアドベンチャー」「タイム・シークレット」
などのゲームは世界観が広く、登場人物との会話なども取り入れた画期的なゲームだった。
今、考えてもよく出来ていると思う。朝までゲームしていたのはこの頃だった(汗)
「タイム・トンネル」って続編もかなり面白かったよ。
このあと「ポートピア連続殺人事件」や「デゼニ・ランド」「サラダの国のトマト姫」などが出てくるが
「タイム・トンネル」の方が面白かった。

タイム・シークレット タイム・トンネルはこちらで遊べます。
http://www.amam.to/
名前はタイム・シークレットは「eRa」、続編タイム・トンネルは「daNa」
名前は変わってるけど内容は、ほぼ同じです。

参考HP ミステリーハウスの部屋


巻第五

今は昔、日本語変換装置の曙時代の話を最近聞けり
「一太郎」や「松」が登場し電脳が大きく変化せりしが
「多窓」が出てからは「和亜土」に負け衰退の一途になりしが
この話は「一太郎」全盛期の話なり・・・
孫正義が早川電気工業に音声翻訳機を売り込み
莫大な金を手にし「軟弱銀行」を興していたとき
孫は「松」を日本語変換の主軸にと画策していた。
しかし「一太郎」の登場によりてその作戦は失敗に終わるのだが
たまたま孫と一太郎の社長が会い大喧嘩をしたと今に伝えたり


現代誤訳

今はワードの天下になってるワープロだけど
昔は一太郎、松、オアシス、クラリス・ワークスなどがあった。
(今でもあるけど)
ウインドウズ95が出たとき、一太郎がリードしていたのだが
一太郎をウインドウズ版で出さないと決めていたので
WORDにその座を奪われて、その後ウインドウズ版を出したがときすでに遅し
WORDの攻勢に衰退していった。
一太郎がPC98で全盛期の頃、ヤフーで有名な孫正義氏が
アメリカ帰りで音声翻訳機をシャープに売り込み大もうけした。
(この音声翻訳機は後のPowerE/J にも受け継がれる)
ソフト・バンクを興して日本のパソコン界をリードしようとし、
また友人の会社のワープロ「松」を応援していた。
しかし、日本語変換に優れていたジャストシステムの「一太郎」の前に負けた。
そんな孫氏とジャスト・システムの社長が会うことがあった。
このとき、二人は天狗の鼻のように高くなっていたので
話はうまくいくはずも無く、お互いに罵り合い大喧嘩したという。
ああ なんと醜いことか、自分が一番偉いと思ったらとんでもないことになる。



巻第六

今は昔、昭和天皇在位六十年の頃なり
いまだ日本国有鉄道があり民間にするやいなやともめ
また阪神虎軍団が職業棒球で優勝した年の話。
びーは、電脳基本言語を覚えてついに自作の遊戯を作れり
その電脳遊戯とは冒険遊戯で「逃亡者」といえり
びー七日ほどで作りけると、電脳雑誌に投稿せり
数知れず月は満ち欠けした頃、電脳雑誌から連絡あり
ついに電脳雑誌に載ることに、びーまさに狂喜乱舞!!
書店に並ぶ電脳雑誌にびーの名前載りけるに天にも昇る気持ちなり
嗚呼 うれしはずかしと今に伝えたるとや


現代誤訳

1985年頃、ようやくBASICを覚えて使えるようになった。
それで、自分でもゲームを作ってみようと思い立ち
アドベンチャーゲームを作った。作ったからには本に投稿して
みようと思ってカセット・テープに録って送ってみた。
数ヶ月して採用の葉書があったんだ。
これには、ホントに天にも昇る気持ちだった。
ゲームは「エスケープ」という名前で、架空の星から逃げ出す。
というゲームで、今見たら情けない(爆)
でも次の月に本屋に行ったら自分のプログラムが載ってたのには
涙が出そうなくらい嬉しかったよ。
自分の才能が認められたようで、ちょっと嬉しはずかし

後日、2通ほどファンレター?が着たんだ。北海道と高知からだった。
自分のプログラムを入れて遊んでくれた人が居たと
思うと、とても嬉しかったなぁ(^^



巻第七

今は昔、円盤磁気記録装置なるものは、五吋が主だったるが
片面やら両面やらと使えたるところ違うこともあり。
はじめ、美国の愛美得夢が、その記憶装置を使うに一人の倭人
羽織袴で、愛美得夢を訴えたり!その人は中松博士でありける。
武蔵守に推挙されんと画策した人なり。

びーも初めて使うは、三吋の物なりてその起動の早さに感動するも
三吋半と三吋の次期記録装置戦争に敗れさり、びー涙せり。
何ゆえに、三吋は負けたかと問えば、通産の大夫どもが、
何も知らずに「大きいほうが、何かとよかれでおじゃろう」と言いけりに
三吋半が次期記録装置に選ばれりと今に伝えたり。



現代誤訳

昔、フロッピーは5インチ四分の一が主流だったんだ。
その前は8インチのでっかいフロッピーが使われていた。
そういえば昔TVのタイム・ショックでも8インチのフロッピー使ってたよ。
(何に使っていたのやら??)
その頃は片面しか記憶しないのや両面やら、いろいろあった。
他にも4インチなども存在したらしいが、見たことは無い。
このフロッピーを発明したのは、ドクター中松という人物。
以前、東京都知事選にも出てきた、あの人だ!
もともと、フロッピーはパソコンも無い時代に発明された物。
今でいうとMDみたいな物で、音楽を録音するために発明されたんだ。
それをIBMが記憶装置として使おうとしてたら
羽織袴を着た日本人が、特許を持ってると訴えてきたので
IBMは怖くなって、ドクター中松に多額の特許料を支払ったらしい。

びーが最初にフロッピーを使ったのは3インチの物だった。
日立が開発したフロッピーで、なかなか性能が良かったけれど。
ソニーも3.5インチを開発し、次期フロッピー戦争がはじまった。
ビデオのVHS対ベータ戦争の例から統一しないと
ユーザーの混乱を招くと言う事で、通産省のお偉方が
どちらかに決めることになったんだが・・・
「大きいほうが良かろう」と言うことで3.5インチが次期フロッピーになっちゃった。
実際は3インチのほうが性能がよかったんだけどね。
まあ、これはベータのビデオでも言える事だが・・・
世の中、性能が良いだけでは生き残れない物なんだなぁ〜



巻第八

今は昔、びーは電脳見世に立ち寄りしがその見世の客人が
電脳通信装置を買うに遭遇せり!
美国では、すでに電脳通信が日常茶判事になりつつありと聞き及びしが
電話代が高いのでわが倭国では普及せざりるなるかと思われしと今に伝えたりとや



現代誤訳&解説

1985年ごろ、パソコン通信がニフティやPCーVAN(後のビッググローブ)など日本でも始められてた。
当時インターネットはまだ個人の物では無く、パソコン通信だった。
今のように絵が出るわけでもなく、文字だけで一応メールも出来たが・・・
ホームページなんてのも存在しなかった。
アメリカでは、すでにパソコン通信でネットゲームやチャットが流行していた。
日本では電電公社(現NTT)の通話料が高くてパソコン通信は普及しないと思われた。
モデムのスピードも遅くて、300ボーや600ボーだったし・・・
つまり今のスピードで言うと0.000003Mということ(^^;)


巻第九

今は昔、びーという人、電脳の印刷機を買うたり、その印刷機とは
二次元方式印刷機なり、四色の色鉛筆で描く印刷機で電脳の中に組み込まれたりした。
今でも、よく出来たる事と思われりカタカタと手で書くように動く様はいとおかし。
熱転写式印刷機は、三色の色を合わせて八色使える。
八色使うと三回印刷を繰り返すので時間が掛かり一枚印刷するのに半時ほど掛かることもあり、待ちくたびれて寝ることもあり
染料噴射式印刷機は、大型の物で四色機で八色使えたり、
別に洗浄液が必要で、これを使って噴射口を洗浄せり。
今、思うと印刷機も色色買うてきたりと今に思われり。

現代誤訳&解説

プリンターも色々買ってきたが、最初に買ったのはプロッタ・プリンターってやつ
これは、当時安くて小さいのが特徴で4色の小さいボールペンで書くやつだった。
ボールペンが立て横に動いて書くんだよ。見てて面白いものだったよ。
次に買ったのは、サーマル・プリンターこれは漢字が使えるのが便利だった。
(当時、漢字プリンターって名前でなければ漢字は使えなかったし
漢字ROMなんてのをプリンターに差し込まなければならない物もあった)
サーマル紙使うとインク・リボンも要らないしね。
でも絵なんかカラー8色で描くと1時間以上掛かったもんだ。
ときどき、待ちくたびれて寝てたもん(笑)
インク・ジェット・プリンターは当時高価だったけど買ってしまった。
インクはスポイドみたいなので継ぎ足して入れるんだよ。
そのほかに洗浄液が必要でプリンターの横から差し込むようになってた。
でもこの洗浄液が漏れて、基盤が駄目になって修理する羽目になってしまったよ。
今思うと、プリンターもいろいろと買ってきたもんだなぁ


巻第十

今は昔、びーと云う人ありけり。電脳に堅牢円盤を買えり。
バツ六万八千式電脳に取り付けたるに、その速さに驚愕せり。
多額の金子を電脳見世に支払った甲斐があったといえり
しかし・・・その堅牢円盤の五月蝿さには困惑せりと今に伝えたるとや。

現代誤訳&解説

ハードディスクの出たころは10Mや20Mバイトしか記憶できなかったが
次第に100Mバイト以上のものもでてきた。
びーが最初に買ったのはSCSIの130Mのものだった。(フロッピー100枚分くらい)
しかし非常に高価で7〜8万円くらいしたと思う(これでも当時は激安だった?)
フロッピーに比べればハードディスクは非常に速くて驚いたものであった。
でも、ハードディスクは、すごくやかましくてつけっぽなしじゃ寝られないほどだった。(笑)